美しが丘の街と人を世代を超えてつなぐ『100段階段』プロジェクト代表 藤井本子さん
今日も元気に小学生が通って行く色とりどりの階段。
たまプラーザ団地から横浜市立美しが丘小学校に続く通称『100段階段』は、丘の多い美しが丘の街を象徴するスポットとなっています。2022年には、第10回横浜・人・まち・デザイン賞を受賞しました。
美しく整備された階段ですが、以前は彩りがなく老朽化していたそうです。
どのようにして、ここにカラフルな『100段階段』が生まれたのでしょうか。
プロジェクトのリーダーであり、地域の住環境維持を中心に取り組む“美しが丘アセス委員会”で、長年にわたり活動している藤井本子さんに『100段階段』と地域の取り組みについてお話を伺いました。
ここを歩けば「美しが丘」を体感できる!
横浜市青葉区の「美しが丘」という地名は、美しい自然環境に囲まれている丘陵地帯であることからその名前がつけられました。
起伏に富み、少し丘に登れば富士山が眺められるなど清々しさも感じられる場所です。

このエリアの最も標高が低い場所(49メートル)から、最も標高が高い場所(83メートル)を内包しているのが、『100段階段』とそれに続く遊歩道の一帯。ここを歩くだけで、丘の街 “美しが丘”を体感できるのです。
また、『100段階段』は街の標高スケールになっています。
美しが丘を歩いていると、あちこちに『100段階段』の段数に応じた標高プレートが埋め込まれているのに気づきます。

そしてプレートが設置された場所は、街のとっておきの場所『たまプラ遺産』を示す標識の役割も果たしています。

『100段階段』プロジェクトには、老朽化した遊歩道を蘇らせたいという藤井さんの思いがありました。
きっかけはアートイベント『AOBA+ART』
もともと『100段階段』は、街をあげてのアートイベント『AOBA+ART』の延長で生まれた企画でした。
横浜市で行われている国際的なアートイベント『横浜トリエンナーレ』に合わせて、市内の各区でもアートイベントをやることに。
青葉区では若いアーティストが『AOBA+ART』を立ち上げることになりました。
顔見知りだったある若者から手伝ってくれないかと話を持ちかけられたという藤井さん。

「住宅街を歩いているとアートが点在しているような、青葉区ならではの作品を作っていきたい」という話を聞き、その思いに動かされたと言います。
しかし、時にアーティストは外から来て好き放題にやって去ってしまうーー。
その地に住まう者として、外部からの招聘を伴うアートイベントの懸念点を考えた藤井さんは、地元の人とアーティストをつなぐことが、自分の役割だと感じたそうです。
「アーティストの表現する現代アートが住民に理解されなくて、私が怒られる役になっていましたね(笑)。それでも4〜5年は好きなことをやらせてあげました」
予算の関係でプロジェクトを終了することになった『AOBA+ART』でしたが、藤井さんから最後に提案が持ちかけられました。
「アートの力で、老朽化した遊歩道を活性化できないか?」
美しが丘は歩くための街として開発されましたが、40年以上を経過してあちこちの遊歩道が老朽化しています。
「私はずっと我慢して、地元とアーティストの間の調整役をやってきました(笑)。だから最後に、『AOBA+ART』があってよかったなと、住民が思うようなことを、やってほしいと話しました」
すると、プロジェクトに参加していた田園都市建築家の会メンバーの一人が、『100段階段』をカラーリングする案を思いつきます。

1週間という短い会期の『AOBA+ART』に間に合うよう、色付けは塗りでなくカラーテープを貼った手作り感のあるものでした。
『プラたま 遊歩道アイデアウォーク』と題して「こんな遊歩道なら歩きたくなる!」というアイデアを参加者と一緒に考えるツアーも開催。
「最も喜んだのは、毎日ここを通って通学している子供たちでした。学校で階段アートをやりたい!と電話がかかってきてメンバーが教えに行ったりもしました」
街の特徴を利用して、歩くのがもっと楽しくなるような仕掛けを作り、『AOBA+ART』の最後の年(2016年)に、ついに地域のみんなが満場一致で喜ぶようなアートイベントが実現したのです。
越後妻有の標識に刺激を受けて…『100段階段』本格始動!
『AOBA+ART』での最後の取り組みは大成功に終わり、めでたしめでたし…。
のはずが、ここで終わらないのが、藤井さんのすごいところです。
2018年度に『ヨコハマ市民まち普請事業コンテスト』で入賞し、500万円の整備助成金を獲得して、本格的に『100段階段』プロジェクトをスタートさせます。

きっかけは、一枚の道路標識の写真でした。
「『AOBA+ART』に参加していたあるアーティストが、越後妻有で毎年行われている『大地の芸術祭』で『Tour de Tsumari』というサイクリングイベントを行なっていて、その写真を見せてもらったんです」
みるみる1000人規模のイベントに成長し映画化も実現した『Tour de Tsumari』。
その成功によって国土交通省が立ててくれたというカッコいい標識を見た時の感動が、藤井さんの心に今も残っています。

「このすごくカッコいい標識が美しが丘にもあったら、きっとそこを歩く人が増えると思いました。それで行政に相談したところ、安心・安全以上の“カッコいい”をやりたいなら、コンテストの助成金で好きなことをやればいいと言われたんです」
こうして『ヨコハマ市民まち普請事業コンテスト』にチャレンジすることになった藤井さん。
簡単に入賞できると思っていましたが、いざエントリーしてみると、想像以上に苦労されたそうです。
「『AOBA+ART』での経験もあったので、自分達の頭の中では『100段階段』の完成した姿が描けていたのですが、プレゼンで説明しても全然伝わりませんでした。審査員には「階段に色を塗ってどうするんですか?」と言われたり(笑)」

2018年度の「ヨコハマ市民まち普請事業コンテスト」には、市内12団体からの応募がありました。
資金や場所の問題で脱落していった団体もある中、滑り込みで掴んだ入賞だったと藤井さんは言います。
「審査員の方には、最後まであなた方が何をやりたいのかわからないと言われていましたが、関係者の方々が完成した様子を見て「これがやりたかったのね!素晴らしいじゃないですか!」と、おっしゃったんです」

プロジェクトに参加していた田都会(田園都市建築家の会)メンバーの設計によって、生まれ変わった『100段階段』。暗かった階段下には明かりがつき、ベンチも置かれコモンスペースとなりました。
以降もその実績からさまざまな助成金公募に通過し、資金に困ることなくプロジェクトを継続して来られたそうです。
街を見つめる藤井さんの想い
これまでアセス委員会、『100段階段』をはじめ自治会の活動に奔走してきた藤井さんですが、意外にも横浜から遠く離れた熊本のご出身だそうです。
生まれ故郷ではない土地で、まちづくりに情熱を注ぐ原動力はどこからきているのでしょうか。
藤井さんが生まれ育ったのは、熊本の官庁街。昼間人口が多く、夜になると人がいなくなるような場所でした。
たまプラーザの街ができてから10年ほど経った頃、今から45年前に引っ越してきたそうです。
「(熊本に住んでいたときは)街のことは全部行政がやると思っていたので、横浜に引っ越してきてから、まちづくりに住民の声が反映されることにカルチャーショックを受けました。こんなことまで住んでいる人がやるの!?と」

街の活動に関わるようになったきっかけは、ご主人がジャンケンで負けて自治会長になったこと。それまで普通の主婦をしていた藤井さんは30歳に満たない年齢で、自治会活動に参加し始めたそうです。
「最初は夫のサポートとして参加し始めたのですが、私の方が先輩方に可愛がってもらっていましたね。夫の方が”本子さんのご主人”と呼ばれるんだと不服そうでした(笑)」
藤井さんはまちづくり活動は大変なことも多いけれど、やってみると意外と楽しいと話します。
美しが丘のまちづくりは、みんなが同じ立場でゼロからのスタートでした。
地域の大地主がいなかったことから、自治会の基礎となったのがあえて“ボスを作らない”という方針。
これによって、当時20代だった藤井さんが積極的に自治会活動に参加することができたともいえます。
「この環境はまちづくりの第一世代からのギフトだと思うんです。私が50年後の人たちに何ができるか、これから生まれてくる子供たちのことを考えなければいけないんです」
前の世代から受け継ぎ、次の世代へ引き継ぐ
助成金を活用してイベントを開催したり、公共のスツールを設置したりと少しずつ繋いできた『100段階段』のプロジェクトも、2023年に予定している修復の後ひと段落することになりました。

まちづくりの活動についても、そろそろ後継者へバトンタッチすることを考え始めたという藤井さん。
「40代半ばの世代が加わってくれたので、若い世代に任せてフェードアウトしようかなと思っています。若い世代は彼らの感覚でまちづくりをやればいいんです」
他の地域から若い世代が自治会に参加する秘訣を聞かれることもありますが、その答えは至ってシンプル。
「藤井さんのところは若い人もいるけど、どうして?って聞かれたら、高齢者が身を引くと若い人が来るんじゃないですか?って答えるんです。あなたが辞めても必ず若い人がやりますから大丈夫ですよ、と。でも自分はまだ頑張れるとおっしゃって、それが邪魔してしまっていることもあるんですよね」
その土地に長く暮らしている先輩からすると、若い世代の意見は受け入れられにくいもの。
反対に若い世代がオンラインで行なっている情報交換は、高齢者にはハードルが高いことのようです。
「最近は便利だからとZoomを使って当たり前に会議をやっていますが、メールだって高齢者にとっては結構大変なんです。みんな年取った事ないからわからないだろうけど、それだけでガックリ来ちゃうんですよ」
意見が言えず萎縮する若者と、わからないと言えず疎外感を感じてしまう高齢者。
双方の会話がコミュニティにとって最も重要な課題だということに、藤井さんは早くから気づいていたそうです。
100段の階段と100人の物語が紡ぐまちづくり
『100段階段』プロジェクトを始めるときに、高齢者と若い人をつなぐために藤井さんが考えたのは、高齢者に街の歴史をレクチャーしてもらうことでした。
「苦労して街並みを整えてきたことを話してもらうと、他所から来たアーティストが「すごいですね〜!」って素直に感動してリスペクトするんです。すると、おじいちゃんたちも気分が良くなるんですよ(笑)」
すると、そこにコミュニケーションが生まれ、“若者”や“アート”に対しての壁が取り払われていきました。
こうして、『AOBA+ART』からは『100段階段』だけでなく『街のはなし』の企画も生まれました。

アーティストの谷山恭子さんが、幼稚園児から80代までの方に街の好きな場所について質問し、そこにまつわる記憶をたどり、物語を紡いでいきます。その場所の緯度・経度・場所の写真を集めた冊子を作り、街史を作る取り組みで、8年間で100人のナラティブ(物語)が集まりました。
「高齢の方は新興住宅地だというけれど、もう50年経ちますから新興ではないですよね。ここで生まれ育った子供たちもいるから、ちゃんとこの地を“故郷”にしていくことが大事だと実感したプロジェクトでした」

石のスツールにあるQRコードを読み取ると、その場所の『街のはなし』を聞くことができる仕掛けも用意されています。

20代の頃からまちづくりに関わってきた藤井さん。
「自分は専業主婦だから特技や専門性もなくて…」といいながらも、柔軟な心で住民と外部アーティスト、若者と高齢者、自治会と行政…などさまざまなプレイヤーをつないできました。
まちを形づくるコミュニティがうまく溶け合うことで、地域が生き生きと営まれていきます。
“住みやすい街”として知られているたまプラーザの根強い人気を下支えする、影の立役者を垣間見たような気がしました。
後継者にバトンが渡されても、藤井さんが前の世代から受け継いだ想いや活動してきた取り組みは、次の世代へと引き継がれていくことでしょう。