文化創造の地を目指し、地域をつなぐ『3丁目カフェ』オーナー大野承さん

たまプラーザの地で、カフェとしての営業にとどまらず、ライブコンサートやパフォーマンス、個人講座など毎日のようにイベントが行われている3丁目カフェ
オープンから7年を経た今、たまプラーザの地で人々をつなぐ場としてなくてはならないコミュニティカフェになっていますが、その裏にはオーナーの苦労と理想への想いがありました。

地元で皆が慕う名物オーナーの大野承さんは、現在10を超える団体での地域活動に参加しているという、この街のキーマンの一人。
定年後は趣味に生きるはずが、カフェのオーナーになってしまった理由とは?

たまプラーザの今昔を知る大野さんに、街の移り変わりや3丁目カフェと地域のつながりについてお話を伺いました。

みんなが集うオープンな3丁目カフェ

広々とした店内。テーブル席と、奥にはステージがある

毎日様々な目的で人が集まってくる3丁目カフェ。数人程度の小規模なものを含めると、なんと年間で600以上のイベントが行われています。

「音響装置とステージがあるので、コロナ禍になる前は大人数を集めるライブコンサート利用が多くを占めていました。現在はまだ大規模な集会ができないので、少人数のグループで趣味の講座を開催する方が増えています」

コロナ禍でリモートワークが増えた今、パソコンを持ち込んで仕事をしている方も多いとか。店内の床数か所に電源コンセントがあるので、壁際の席だけでなく座席が選べるのが嬉しいところです。
Wi-Fiも完備しているので、1日仕事をするにも困りません。

たまプラーザから徒歩5分に位置している

手作りスイーツや簡単なランチも提供していますが、利用客はイベント目的の方が大半。
カフェとイベント会場という2つの顔を持つ『3丁目カフェ』は、付近では珍しい形態です。

なぜコミュニティカフェをオープンすることになったのでしょうか。

「横浜市と東急による『次世代郊外まちづくり』というプロジェクトがあって、どうやって持続可能な街にしていくかという話し合いをしていくうちに、地下鉄の駅ができる予定だった美しが丘3丁目付近でコミュニティカフェをやろうという話になりました。

ところが、立ち行かない問題があって計画が頓挫しちゃってね。
色々とアイデアを膨らませていたので引っ込みがつかず、結局個人で商業スペースを借りて店を開くことになったというのが開店の経緯です」

それで住所は美しが丘1丁目なのに『3丁目カフェ』という名に。『3丁目カフェ』として構想していたので、名前を変えなかったそうです。

「どこの新聞も報じていないんだけど、実はここはもともと3丁目だったのに、地殻変動で1丁目になっちゃったの(笑)」

と、ユーモアで笑わせてくれる大野さん。その人柄に多くの人が集まってくるのでしょう。

入り口には今週のイベントチラシを掲示

そんな大野さんがたまプラーザに越してきたのは、約50年前。東急が開発を始めて数年経った頃だったため、周囲の空き地も半分ほどは住宅で埋まっていたそうです。

「私は東京の目黒で生まれ育ち、1970年にたまプラーザに家族で引っ越してきました。会社員時代のほとんどは転勤で全国を移り住み、30年ほど経って再びこの地に戻ってきました。
58歳で会社を定年退職してからは、年金生活で趣味に生きようと思っていたんです」

囲碁に読書にと悠々自適な生活を送っていたはずが、思わぬ出来事から地域との関わりが始まりました。

「ある時、美しが丘中部自治会の会長の順番がまわってきてしまって、それが地域と関わるきっかけでした。
任期は1年だったのですが、始めたら1年では何も終わらなくてね。次第にもっとたくさんの地域活動に関わることになっちゃって」

カウンターの端の席が大野さんの定位置

定年まで大手化粧品会社に勤めていた大野さんは、経営の経験も知識もゼロからのスタート。はじめてから数年間は、想像を絶する“地獄”のようだったと話します。

「はじめてみたら本当に経営が難しくてね。店の梁に紐をくくって…と考えた思ったこともあるよ(笑)」

風向きが変わってきたのは、貸スペースとしてイベント招致に舵を切ってからでした。今は来店客の9割以上がイベントの目的で訪れる方だそう。

「当初はコワーキングスペースもやって、レストランとしても営業していたけど、素人は食のことなんてわからないから、半端なことはやめちゃったの。すると次第にお客さんが入るようになりました」

ところが安心したのも束の間、また新たな壁が立ちはだかります。

「やっと利益が見込めるようになってきたと思ったら、今度は新型コロナでしょう。
今は売り上げがコロナ禍になる前の半分ほどまで落ち込んでしまっているので、なんとか早く状況が回復してほしいです」

客足は回復傾向にあるというものの、イベント主催者側が人数制限をしなくてはならない状況が続く現在。早く元のように会場が満員になるほどのイベントが開催できるようにと、祈るばかりです。

たまプラーザ・美しが丘の地域に対する思い

駅ビルのたまプラーザテラスは平日も多くの客で賑わう

10年ほど前に駅前の商業施設『たまプラーザテラス』が開業して、一気に近代化しました。

まだ更地も多かったたまプラーザエリアを知っている大野さんですが、意外にもそれほど大きな変化は感じていないようです。

「駅前は子育て世代に焦点をあてたことで、若い家族が増えてきたのがよかったね。

駅前の様子は変わっても、道路は変わらないし昔から住んでいる人もそのままなので、それほど大きな変化だとは感じていません」

ゆったりした変わらない街並み

変わらない土地と、変わりゆく街の姿。これからのたまプラーザはどのように変わっていくでしょうか。

「農業や漁業が根付いている地方に比べて、美しが丘には土地に縛られない会社員が多く住んでいます。
何かあれば他所へ移り住めるので、地元愛がそこまで深くないでしょう。
なので、青葉区を故郷にしようという取り組みも以前から行われています。

例えば、毎年夏に美しが丘公園で行われている盆踊り大会。
盆踊り大会が、昔の友達と再会するクラス会のような場になったりするといいですね。そうして故郷化することで、街の深さも少し変わってくるのではないでしょうか」

地域活動に奔走し、『3丁目カフェ』としてコミュニティの場を運営する大野さんの街への思いにはきっと強い信念があるのだろう。そんな回答を期待して投げかけた質問は、するりとかわされてしまいます。

「周りにたきつけられてここまで来ただけで、街への想いはそんなにないよ(笑)。
全部追い込まれてやったから後付けです。会社員も業務をやりながら理想が膨らんでいくでしょう?」

あくまで自主的ではないと話すそんな言葉の裏に、どこか静かな使命感のようなものを感じました。

3丁目カフェと街の関わり

温かく迎えてくれる大野さんの笑顔

まずは経営の安定を目指す3丁目カフェ。そしてまた社会に開かれた場所へとアップデートしてきます。

「今はたくさん人を集客できるライブコンサートが減ってしまったので、早く元のように大勢で楽しめるイベントの再開をしないと。
イベント主催者の9割はリピーターなので、これからも団体客の拠り所であり続けたいです。

それから子供食堂や、認知症だったり障害を持つ方のためのイベントをやりたいと思っています」

大野さんが集めた本の数々を閲覧できる

また、ご自身にも今後の展望があるそう。コミュニティカフェの経営から見えてきたことは、文化創造の重要性でした。

「3丁目カフェの経営は2026年に辞めると決めているので、譲り手がいなければ閉めようと思っています。
でも、文化的な場所を創っていきたいという思いがまだあるんです」

日本も西欧のように、成熟した文化が育まれる環境を増やすべきだと語る大野さん。

「文化複合施設ができたらいいなと思っています。
目指すのは、自主・自立の文化。公的な資金が入らない、私設の文化施設です」

多くの人が分け隔てなく暮らしやすい持続可能な地域の実現に向けて、アイデアは尽きることがありません。

美しが丘の文化発信基地に

定年後は静かに趣味を楽しんで暮らしたかったはずが、地域のために奔走することになった大野さん。控えめに動機を話しながらも、見つめる先には地域の理想の姿があるようでした。

人望の厚い大野さんがいてこそ、3丁目カフェに人が集まってくるのでしょう。
このお店はカフェであり、小さな文化の発信地なのです。

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